「せんたの記憶の部屋」

健康記録とエッセイ

   「シnearの田舎暮らし」

図書室と健康記録・ 生きる力と辿る景色

灰色の空と、錆びないペダル

カレンダーの数字を見つめながら、「もう金曜日か」とひとりごちる。先週の金曜日は、愛車のハンドルを握って世田谷の歯医者まで足を伸ばしたのだった。車の窓から流れる都会の喧騒と、すれ違う人々の忙しない足早な姿が、まるで遠い昔の出来事のように感じられる。年を取ると、坂道を転がり落ちるように時間の流れが加速していくと言うが、まさにその通りだ。あっという間に過ぎ去っていく一週間に、少しだけ立ち止まって深呼吸をしたくなる。

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最近の朝活は、夜明け前の四時前に目が覚めてしまうことから始まる。布団の温もりに少しだけ未練を残しつつ、四時半にはカメラを片手に静まり返った町へと歩き出す。今朝はまだ星の瞬きが残る清々しい空だったが、太陽が昇るにつれて、空はご機嫌を損ねたように灰色の雲を広げていった。結局、一日中どんよりとした曇り空に覆われてしまった。早起きの代償だろうか、午後になって部屋でじっとしていると、心地よいけれど抗えないほどの重い眠気が襲ってくる。老いた身体が「少し休め」とサインを出しているのだろう。

今日は、婆さんが食料品の買い出しに出かける日だった。私は、老犬のえちゃんとお留守番の役目を仰せつかった。いつもなら、私の足元で安心したようにスヤスヤと寝息を立てるのえちゃんだが、どういうわけか今日の午前中はちっとも眠ろうとしなかった。白内障で少し濁った瞳で、じっと私の方を見上げている。「どうした、今日は眠くないのかい」と声をかけ、少しパサついた毛並みを撫でてやる。のえちゃんは小さく尻尾を揺らした。留守番という非日常の中で、私の存在を確かめることで安心したかったのかもしれない。言葉は交わせなくても、静かな部屋で互いのぬくもりを感じ合う時間は、何にも代えがたい私の宝物だ。

 

昼食を済ませ、眠気を振り払うように庭へ出た。すっかり汚れが目立っていた自転車に水をかけ、丁寧に洗車をする。ピカピカになった銀色のペダルを踏み込み、横田基地の方面へとサイクリングに出かけた。フェンス越しに広がる広大な芝生と、遠くに見える英語の看板。そこだけが切り取られたような異国の風景は、私が若かった昭和の時代から変わらない匂いがする。乾いた風が頬を撫で、ふと、がむしゃらに働いていたあの頃の記憶が蘇ってきた。

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帰り道、婆さんに頼まれていた食料品の不足分を買い足すためにスーパーへ寄った。レジカゴに豆腐や野菜を入れながら、年金貧乏の生活であっても、こうして互いの足りない部分を補い合って生きていく日常が、とても愛おしく思えた。

夕方からは、パソコンと睨めっこである。この歳になってAIの勉強をしているのだから、我ながら物好きだと思う。しかし、現実は厳しい。Googleアドセンスの審査が何度やっても通らないのだ。老眼鏡の奥で目を細めながらネットの海を彷徨うと、「AIが生成したものが引っかかっているのではないか」「著作権の問題か」と、難しい言葉が次々と押し寄せてくる。いっそのこと、ブログのお引っ越しをしようかと悩んでいる。けれど、こうして新しい壁にぶつかり、ああでもないこうでもないと頭を悩ませることこそが、最高のボケ防止なのだ。曇り空の一日だったが、心の中には新しいことへ挑む小さな火が灯っている。