
台風一過の抜けるような青空を期待して雨戸を開けたが、
空はどこまでも鈍色の雲に覆われていた。
見慣れた風景も、今朝ばかりは少しだけ重たく沈んで見える。
午前四時前、いつものように目覚め、血圧計の腕帯を巻く。
シューという機械音と共に弾き出された数値は、少しばかり高めだった。
歳月を重ねた身体は、天候の僅かな変化にも敏感に反応してしまうらしい。
長年連れ添ったレークランドテリアの彼女もまた、
私と同じように老いの坂道をゆっくりと下っている。毎朝の歯磨きと目薬。
その度に彼女の顔に触れるのだが、ふと、その頬の肉がすっかり落ちて、
皮と骨ばかりになっていることに気づかされる。
手のひらに伝わるゴツゴツとした感触に、胸の奥がキュッと締め付けられた。
食欲もなく、散歩に出る元気もない。
一日の大半を眠って過ごす彼女は、果たして楽しいのだろうか。
いや、ただこうして同じ空気を吸い、傍に居てやること。
それだけが今の彼女にとっての「幸せ」なのかもしれないと、
自分に言い聞かせるように頭を撫でた。
1キロを12分半のペース。いつもの朝活へ足を踏み出す。
幸い、昨夜の台風は我が家に大きな爪痕を残すことなく過ぎ去ってくれた。
丘の方角へ目を向けると、フェンスの向こうの基地には、
いつもと変わらぬ外来機の姿があった。
C5が1機、C17が1機、そしてKC135が4機。
台風が来る前と同じように、灰色の巨体がずらりと並んでいる。米軍の気象予報は、
気象庁よりもはるかに正確にこの台風の影響が少ないことを見抜いていたのだろうか。
そんなことを考えながら歩みを進めた。
目の痛みが視界をわずかに霞ませる。そろそろ眼科の暖簾をくぐらねばなるまい。
写真家にとって命とも言えるこの「レンズ」の手入れを怠るわけにはいかないのだ。

丘を背にして、川の方向へと歩く。私の心には、一つの気がかりがあった。
数日前から見守っていた、あの子たちのことだ。
増水した濁流の中で、あの小さな命はどうなってしまっただろう。
祈るような気持ちで川面を覗き込むと――いた。
5羽のカルガモの子供たちが、まるで何事もなかったかのように、
寄り添って泳いでいる。
飛ぶこともできないあの小さな体で、一体どこへ避難し、
どうやってあの暴風雨をやり過ごしたというのか。
自然の持つ途方もない力と、それに耐え抜く小さき命の逞しさに、
私はただただ圧倒されていた。
気がつけば一時間少々、距離にして6キロの道のりを歩き終えていた。
足腰の疲れは心地よい。鈍色の空の下、老いていく自分とのえちゃん、無骨な軍用機、
そして激流を生き延びたカルガモの雛たち。
命の形は違えど、皆それぞれの時間を懸命に生きている。
ぼやけ始めた私の目にも、その生きる輝きだけははっきりと映っていた。